『丘に鳴る風―小説・松崎慊堂と石経山房』を読みました。 (以下『丘に鳴る風』と表記します)
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本作の主人公は松崎慊堂。 彼について特筆すべきは、この人は鳥居耀蔵と渡辺崋山、すなわち蛮社の獄における代表的な「加害者」と「被害者」の双方に深い親しみを抱いている、という点です。
創作で蛮社の獄を扱うとなると、大抵は主人公が「加害者」か「被害者」のどちらかに肩入れしており、その立場から事件を、ひいては政治観や時代の空気感を描くことになります。 要するにどちらか一方は物語における善玉、もう一方は悪役として固定されます。 (「善悪」をどれほど掘り下げるかは作品によりけりですが)
ところがこの作品では松崎慊堂を中心に置くことで、どちらとも言えない立場から蛮社の獄を見ることになります。 教え子二人の間で板挟みになる彼の苦悩を通して、耀蔵と崋山の人物像もさまざまな側面から深く描写されることになります。 特に平面的な悪役になることも多い耀蔵に関して、『丘に鳴る風』では面白い見方がなされていると感じました。 ポジション的には外見も人格も完全に悪役で、「実はいい人なんだよ」的な描写も皆無ですが、慊堂の目を通して**〈個人としての鳥居耀蔵〉**が掘り下げられている点にこの作品の特徴があります。
基本的に作中ほとんどの人物から嫌われている耀蔵のことを、慊堂はほぼ一貫して気遣い、悪口から庇い、心配しつつも温かく見守っています。
というのも、慊堂にとって耀蔵は単なる学問の教え子にとどまらず、幼少期から成長を見守ってきた存在です。いくつになっても「耀蔵くん」です。 耀蔵の複雑な家庭環境を知っており、表立っては出さないが抱えているであろう彼の孤独に思いを馳せることができる、数少ない立場にあるのが慊堂という人物です。
慊堂は耀蔵の長所だけでなく短所もよく理解しています。 すぐれた知性と実務能力の高さと、冷酷で執念深い性格を目の当たりにしてきたからこそ、耀蔵に向けられた悪口に怒ると同時に「張り切りすぎなければいいが」と将来を案じるのです。
慊堂が回想として語る幼少期の耀蔵の人物像を見てみましょう。
耀蔵の実父である林述斎は、多くの側室を持っている人です。 子どもの数も非常に多く、屋敷には常に数名の側室と母親が同じだったり違ったりする子どもが大勢いる、という環境で耀蔵は育ちました。 父である述斎は不在がちです。いたとしてもお父さんは一人だけです(当たり前ですが)。 このいささか不健全な環境は、幼い子ども達の間に親からの愛情の奪い合いを引き起こしました。幼児としては当然の反応です。 親の気を惹こうとそれぞれに試みる子ども達の中にあって、少年の耀蔵がとった手段は、**「嘘をついて他の子が怒られるよう仕向ける」**というものでした。 目的のために平然と他人を陥れ、相手が苦しむ姿を見て喜びさえ覚えている節がある……という歪んだ性格は、極めて幼い頃から耀蔵に備わっていた、と慊堂は分析しています。 子ども達に勉強を教えたり親代わりになって面倒を見たりするために述斎の邸宅に通っていた慊堂は、耀蔵の秀でた知性を見抜きつつ、耀蔵にも他の子ども達にも等しい優しさで接しますが、そうすると耀蔵は前述のような問題行動を起こすことに気付きます。 それを受けて慊堂は、耀蔵には特別に目をかけるようにしました。すると耀蔵の振る舞いは落ち着き、故意に他人を陥れるようなことはしなくなりました。 根本的に性格が改善されたわけではないのでその後も冷や冷やしながら成長を見守っていましたが、慊堂がずっと耀蔵に同情的なのはこうした不憫な境遇の記憶が根底にあるから、ということがわかります。
それでは反対に、耀蔵が慊堂に向ける目線はどのようなものだったか。
作中、慊堂と耀蔵が直接対面するシーンが何度かあります。 後述するこれらのシーンにおいて耀蔵は、慊堂を敬愛はしているがなんとなくそっけない、礼儀は尽くすが自分の意に逆らうなら師匠筋といえど容赦しない、という印象を読者に(主人公の慊堂にも)与えます。
しかし劇中最終盤のシーンでは、慊堂の友人である佐藤一斎の口から、慊堂の把握しきれていなかった耀蔵の姿が語られます。 それは、**「彼は今でもあなた(慊堂)を慕い、同時に恐れている」**というものです。
先に述べた慊堂と耀蔵が直接対面するシーンの中から、